お茶漬け、食えばいいじゃん

私は、食事が苦手だ。

食べるのが遅いのだ。

 

幼稚園時代は顕著だった。

給食が食べきれず、毎日時間外まで一人で残って給食を食べていた記憶がある。

家庭での食事もそうだ。

夕食を食べられず、家族が全員食卓からいなくなっても食べ切るまで食事を続けてきた。

 

食事に関しては良い思い出がない。

食育失敗モンスターとは私のことだ。

 

小中高の時期は、あまり問題を感じることはなかったが、社会人になってから、また不都合を感じ始めた。

 

誰かと食事をするときに苦痛を感じる。

私は、食べるのが遅い。

だから、相手の食べる速さに合わせて食べるのに精一杯で、楽しくおしゃべりなんてする余裕が無いのだ。

私は食事が苦手だ。

だから私が食事に誘われるときに感じる感情は「音痴なのにカラオケに誘われたとき」の感情と同じだ。

私は飲み会もあまり好きじゃない。

それはコミニュケーションが嫌いだからではなく「食事が出てくる」からだ。

 

今は無職になって、会食の機会もそれほど無いので、その点は良いのだが、そもそも私は食事が苦手だ。

「一人での食事も苦手だ。」

毎日悩んでいる。

毎日食事に悩んでいる。

私は、食事に関して

  • お金を使いたくない。
  • 食事をすると眠くなる。
  • 食事をしないと飢餓になる。

という問題をどう処理するのかいつも悩んでいる。

無職なので食事に金をかけたくない。
しかし、無職で活力が無くなると、積む。
しかたなく食事をすると眠くなって、一日が潰れる。

という闇のコンボの処理に手間取っている。

 

最近は、一日一食に挑戦している。

食事をすると眠くなるのなら、そもそも食事の頻度を下げれば良いのである。

今まで、「しっかりと朝食をとりましょう」を信じてきた。

私は真面目なので、学校教育とかメディアに簡単に洗脳されてしまう。

無職になってから、朝食を抜くようになりすこぶる調子が良い。

今まで、

  1. 起床して
  2. 朝食をとり
  3. 食事による眠気でまた寝る

という生活をしていたが、なんであんなことをしていたのか頭を抱えたくなる。

妄信的に朝食をとっていたが、自分の体質を鑑みて選択するべきだった。

何気ない洗脳で人生を消耗していること、あるのではないだろうか?

 

一日一食を目指すと、どうしてもカロリー不足になってしまう。

一食で多く食べなければならないのだが、食べきる前に満腹になって寝てしまう。

一食でより多く食べるにはどうすれば良いのか考えていた。

ある時ふと思いついた。

 

お茶漬け食えばいいじゃん。

 

これを読んでいる人には、些細な思いつきにしか感じられないだろう。

だが私にとって、この思いつきは、天地を揺るがすものだった。

 

お茶漬けは私が実家で、夕食を食べられずに苦しんでいた幼少期に使っていた手法である。

子供ながら、頭を使い、工夫して作り上げた手法である。

だが、両親が自分のお茶漬けに対してあまり前向きな感想を持たなかったので、今まで封印していた。

むしろ、お茶漬けを嫌忌していた、まである。

冷静に考えると、別にお茶漬けは嫌忌されるほどの行動ではない。

しかし私は、無意識のうちに、お茶漬けという選択を除外していた。

なぜなのだろうか。

 

これも洗脳なのである。

 

別に、幼少期にお茶漬けに関して怒られた、とかではないのだ。

前向きな感想を持たれなかった、だけなのだ。

しかし、その何気ない両親の反応が。20数年間、私からお茶漬けという選択を除外させていた。

 

幼少期の何気ない経験が、未だに私を縛り付けていることに気がついた。

こんな何気ない経験、いくらでもありそうだ。

 

これから、どれだけ多くの洗脳を解かなければならないのだろうか?

コメント