トマトの種を噛み砕く愚かさ

私は最近良くトマトを食べる。

ある時ふと、自分がトマトの種を一々噛み砕こうとしていることに気が付いた。

この事に気がついた時の、私の気持ちが分かるだろうか?

 

種は消化され辛い。

そのため噛んだほうが良いと判断していたわけだ。。

しかし、それで得られるものは良質なうんこでしか無いのだ。

 

私は、好奇心を失っていることに気が付いた。

考えても見よう、少年が、好奇心で満ち溢れたトマト好きの少年が、一々トマトの種を噛み砕くことなどあるだろうか。いや無い。

少年はトマトを食べる喜びのみに集中していることだろう。

目の前のトマトを見ず、健康だとか、便通だとかを気にしているはずがない。

 

私は、うんこのことなど考え、目の前のトマトの存在を蔑ろにしていたのだ。

本当に私が、喜びに満ちた人生を歩んでいるとしたら、トマトを食べる時には、より美味しく食べるにはどうしたら良いだろうか?などと考えているはずだ。

種を噛み砕いていた事実は、私の人生に影が差していることを暗示していた。

 

私は、種を噛み砕いている自分を認知したとき、ハッとした気持ちになった。

そして自分の愚かさを自覚したのである。

その後、私は吸い込むようにトマトを食したのであった。

 

いつからか、健康だとか税金だとか、そんなことばかり気にするようになった。

しかし、自分に降りかかる負の側面にばかり目を向け得られるものは、恐怖や不安のみだ。

いかにマイナスを減らそうと、それがプラスに変わることはない。

人生の喜びに目を向けて、プラスを積み重ねていかなければ厳しい無職の世界で生き残ることは出来ない。

すなわち、トマトの種を噛むことは、自分の死すら暗示していたのだ。

日常の些細な行動。

全てが人生の方向性を暗示している。

しかし、行動を変えれば未来も変わる。

好奇心に従い、ラーメン二郎のスープも飲み干す。

その心意気でいれば、最強になれるはずだ。

以上💩

 

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