低気圧やばい

低気圧がやばい。

ほんとにこればかりは困った。

すべての覚悟は結局、低気圧で覆される。

例えば頭痛がして、それが自分のせいなのか、低気圧のせいなのかわからない。

いつもよりだるくて、いつもより眠くなって、それが自分の意志の弱さなのか、低気圧のせいなのかが分からない。

仮に、なにか思い立って、毎日頑張るぞと気合を入れたとしよう。

それは結局、低気圧でふっ飛ばされる。

低気圧は、調べたところによると、自律神経かなんかよく分からんが、なんかおかしくなって、痛みが増幅されるらしい。

だから、低気圧で古傷が痛むというのも、そういうことのようだ。

実は、全身でちょっとした痛みは常にあるものなのだ。

低気圧になると頭が痛くなる。

だから、実は痛みは常にあって、その存在に気がつくというのが低気圧での頭痛なのだ。

全身は常に痛みを抱えていて、でもそれに気が付かない。

現実があらわになるだけで、別に低気圧のせいで何かが悪化したわけではない。

案外、自分の現状なんて、自分ではわからないものなのだ。

だから、気合って意味ない。

覚悟って意味ない。

どうせ低気圧で吹き飛ばされる。

だから、最初から何もしたくない。

仮に、絶対に体調が不安定にならないのなら、いろいろな事を始められるのかもしれない。

大抵、新しいことを始めるのは、気分が乗って、体調が良いときだ。

病気で寝込んでいるときに、新しいことに挑戦する人はいないだろう。

調子の良いときに始めた挑戦は、調子が落ちればだめになる。

挑戦は、低気圧で吹き飛ばされるのだ。

もしかしたら、低気圧の日に、それでもなお、なにかに挑戦したいという気持ちが湧いたのなら、それは本物なのだろう。

でも無理だろう。

なにせ低気圧だ。

ポジティブな気持ちになれるはずがない。

無理だ。

低気圧だ。

だから挑戦っていうのは、失敗するものなのだ。

今日も、あらゆる人達の覚悟が、低気圧で吹き飛ばされた。

そう思うといい気分だ。

 

人は、覚悟の強弱ではなく、外的要因によって、覚悟を失う。

オナニーなんてまさにそれだ。

しこる前に、賢者タイムのことなんて想像する人はいないだろう。

でも必ずおこる。

今日はメッチャしこってやるぜ、という覚悟はあっけなく消える。

人は自分の非連続性に苦しめられる。

しこる前の自分が本当の自分なのか。

しこった後の自分が本当の自分なのか。

誰にもわからない。

連続した価値観を持つ自分。

自我なんて無いってことは、しこればわかる。

オナニーはむなしさの確認作業だ。

別に賢者タイムでむなしいなんていう話ではない。

自分が、連続した自我を持っていないということをまざまざと思い知らされるからむなしいのだ。

 

ツイッターで、死ぬこと以外かすり傷という本のタイトルを見た。

まあ、自分もそう思う。

でも、自分は下痢がひどいときに、死にたいと思うときがある。

死ぬほど苦しいときには、むしろ死を望むときもある。

確かに、死ぬこと以外かすり傷なのかもしれないが、その気分はどうせ下痢になったら覆される。

むしろ、そんな事を言っている人でも、低気圧の日には引きこもっているのかもしれない。

死ぬこと以外かすり傷、というタイトルの本を出したのは事実である。

だが、そのタイトルを考えたとき、著者は体調が良好で、その日は高気圧だったのだと思う。

その程度なものなのだ。

 

人の気分は常に変わる。

そんなことはだれでも分かっている。

しこれば分かる。

でも、だからこそ、変わらないものを求める。

だから、強気な口調で、断言的な文法で、ぶれない意見を言う人は求められる。

でも、一つ言えることは、そんな彼らも下痢になれば弱気になる。

 

みんなの憧れるヒーローも、みんな下痢になったら弱気になる。

夢を見るのはやめよう。

毎日頑張っているように見える、あの人もあの人も、そう見えるだけさ。

だから低気圧の日には、素直に寝よう。