コンテンツには入り口がある。
しかし入り口まで来た客も、コンテンツの質が低ければすぐに離れていく。
- 綺麗だけど話が面白くないタレント
- 絵が上手いけど、面白くない漫画
- 無料だけど美味しくない試食
- 偶然バズっても、それ以外のストックが無いネットコンテンツ
- パッと見のデザインは綺麗だけど、使い勝手の悪いアプリ
- 学歴やコネを持つが、実務能力の低い人間
このような例が挙げられると思う。
バッターボックスには立てても、打てなかったら意味がないのと同じだ。
筆者は無職なのだが、打てないバッターだから困っている。
世の中には、どのようにコンテンツへの入り口を広げるかを説く情報が多いが、こんなもの今の自分にはクソほどにも役に立たない。
ブログを始めた頃は、SEOを気にしていたりしたが、今思えば努力の方向性を誤っていたとしか言いようがない。
質の高いコンテンツを用意する前に、宣伝のことを気にしても全く意味がないのである。
そんな事当たり前と思うかも知れないが、フォロワー数やチャンネル登録者数に関心を傾けて、本質を疎かにする人は散見される。
重要なのはコンテンツの質である。
では質とは何かと言えば、簡単に言えば他人が喜ぶことだ。
例えば人がやりたがらない面倒なことを代わりに引き受けたり、有料のものを無料で提供したら他人は喜ぶと思う。
しかし、それには継続性がないので、方向性はあまり良くないと思う。
筆者が考えた結果出した答えは、質とはストーリー性のあるものである。
筆者がクリエイター目線であるから、そういう答えになったのかも知れない。
最初に挙げた「入り口は良くても質が悪い例」でも分かると思うが、見た目が良くても面白くないものはあまりウケが良くないと筆者は思う。
上手い絵は、他の上手い絵で代替できるが、ストーリー漫画は他のもので代替できないという希少性から来ていると筆者は思っている。
このように、質とは何かを自分なりに定義すると、努力の方向性を間違えずに済む。
化粧してビジュアル系になったり、絵の練習をしたり、ブログをオシャレにすることは優先順位として低いということが分かる。
このブログも、今はグーグルの方針とはズレたものにしている。
それは、グーグルに寄せることはある意味嘘を付くことであり、自分というストーリーに歪みが発生するからである。
むしろ、意識的にクソブログにしているまである。良ブログにしようとしても出来ないのだが…
現在、筆者には宣伝するコンテンツが無いのだが、明日には最強おじさんになっていると思うので大丈夫だ。むしろすでに最強おじさんだけど、動きがすごすぎて現実が追いついていないだけだ。
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