どうして会社を辞めるのは難しいの?

会社を辞めるのが難しい理由

 

 

 

めんどくさいからだ。

 

 

 

 

会社生活に不満があるのに、すぐに会社を辞めない理由…

それは、

めんどくさいからだ。

 

 

どうして会社を辞めるのは難しいの?

 

めんどくさいからだ。

 

なぜなら、

からだ。

どうしてめんどくさいの?

9年正社員をやってきた経験からワイが答えよう。

 

仕事というのは、社会に何らかの影響を与えて、その価値を日本円に変換する作業のことや。

 

こんな記事を読むぐらいやから、会社員として悩んでいるんやろうな。

 

自分の胸に聞いてみ。

「自分の仕事に価値はあるのか?」

どうや?

まあ、この質問にはっきりと答えられるやつは、そもそも悩んでなんかいないやろがな。

 

別にこれに正解なんかないんや、大事なのは自分で仕事の価値を信じているかどうかや。

 

この問いに対しての、危険な回答がある。

ワイの偏見で、大企業の社員に多くありそうだから、そういう人への問いの形で書かせてもらうが、

 

Q「あなたの仕事に価値はありますか?」

という問いに、

A「ワイの仕事は、価値があるはずなんや!なぜならワイは大企業の社員なんやからな。大企業は素晴らしい。だから会社内での業務も素晴らしい事のはずなんや!!!」

と答えるのが一番危険な状態や。

 

「価値を信じられないが、信じるしか無い」という心理状態やな。

こういう人は

  1. 本心は仕事の価値を信じていないから、会社生活に不満がある。
  2. しかし、総合的には価値を信じているから、会社は辞めない。
  3. その矛盾で苦しむ。

という状態になっている。

 

厄介な心理状態やなあ。

「さっさと辞めろ!」

 

まあそんなにスッキリと辞められるものやないのは、ワイもよく分かってる。

だからこそ、この記事を書いているわけやからな。

 

先程のアンサーで「価値があるはずや」「素晴らしいはずや」など、

「〇〇なはず」という表現が多く見られた。

実は、この「はず」と「めんどくさい」は大きな関係性があるから解説していこう。

複雑なことは、考えるのが難しい

「〇〇なはず」は思考の効率化の一種や。


ワイはスプラトゥーンというゲームが好きやからそれで例えさせてもらうが、

スプラトゥーンはクッソ簡単に説明すると、

  • 味方の支援をする。(塗り)
  • 敵の邪魔をする。(キル)
  • 得点を入れる。

という3要素を満たしながら、勝利を目指すゲームや。

強い人は、試合の状況を見てその3要素を適切に処理して勝利を掴むことができる。

だが、刻一刻と変わる戦況で、適切な判断をするのは正直難しい。

だから、試合前に「ワイはこれだけに集中するんや」と役割を固めたほうが、逆に勝てたりすることが多いんや。

 

理想は、複雑に状況判断すること。

しかし自分の能力を超えて複雑な思考をすると、混乱して逆に何も成し遂げられないことがある。

 

「〇〇なはずや」の話でいうと「得点役に集中すれば勝てるはずや」と信じることで、ゲームの操作に集中できて、トータルの能力が上がるということやな。

〇〇なはずや、で進む人生

さらに普遍的な「〇〇なはずや」シチュエーションを説明させてもらうが、

自分が幼稚園に入園するとして、

「これはワイの人生にとって最も効率的なことなんか…?」

と悩んだりするか?

しないよな?

 

大抵は何も考えていないと思うが、

「両親が言うんやから、幼稚園は自分にとって必要なもののはずや。」

という思考に近いのではないだろうか。

 

まあ、幼稚園児なんだからしょうがないわな。

まだ幼いんやから。

自分の人生に関する判断に自発性を持つのはまあ無理やな。

 

だが大学入学ですら、

「両親が言うんやから、大学は自分にとって必要なもののはずや。」

というメンタルで判断をしてはいないだろうか?

まあ、計画的に自己判断で大学入学した人もいると思うよ。

でも、それって、世界にあるすべての大学、すべての仕事、すべての制度、すべての文化を把握して検証して比較した上での判断か?

違うやろ?

 

だったらそれは「自分にとって良いもののはずや」という思考停止の上での判断なんや。

極端な話をしたが、人は少なからず思考停止して人生の判断をしているということを言いたかったんや。

まあ寿命があるから、人は全知全能になることはできない。

ある程度の思考停止は当然のことなんやがな。

 

 

そんで、ワイは別に適切な思考停止は悪くないと思うんよ。

スプラトゥーンの節で似たような話ししたよな?

判断の枠をあえて狭めることで集中力が増すという話やったな。

 

例えば、大学受験をするとして

「この数学の勉強は、自分にとってどういうメリットがあるんだ?十分に検証してから勉強を始めよう。」

とか考えとったら勉強時間が足らずに受からんよな?

「ワイの人生に高学歴は有効なはずや。だから数学に人生の一部を使うことは絶対に良いことのはずなんや!!!

と強く信じていたほうが、勉強に集中できるよな?

これが思考停止の強さや。

信じれば信じるほど、集中力は増す。

まあ一種の信仰や。

宗教や。

信じるものは救われるってやつな。

 

使い古された表現を使うと、社会のレールに乗るということや。

信仰心

説明の便宜上、「レール教」という造語を使わせてくれ。

レール教は、社会のレールに乗ることで幸福を目指す宗教、という定義でいくからな。

 

レール教は信仰心の高さによって以下の特徴が現れるんや。

  1. 信仰心が高い人は、自己判断力が低い。しかし信仰心による集中力増強で、高学歴、大企業勤務の人が多い
  2. 信仰心が低い人は、自己判断力が高い。しかし、思考が分散するため受験競争に勝てず、低学歴が多い

こんな感じや。まあ例外は腐るほどあると思うが、軽く流してくれ。

 

そして当記事の議題である、「会社を辞めるのが難しい」と感じる人は、信仰心が中途半端な人に多いハズや。

 

信仰心の高さごとに比較していこう。

  1. 信仰心が高い人は、「ワイの勤め先は絶対に潰れないし、老後も安泰。この会社で働くことが人生の勝利のはずや。」と深く信じているので、退職を考えない
  2. 信仰心が中途半端な人は、「なんとなく人生を歩んできたけど、これからもずっとこの会社で働くのか…?でもやりたい事もないし、転職もめんどくさいな…」と考える。
  3. 信仰心がない人は、会社に依存心がなく、辞めるときはすぐ辞める。または常に自分の感情と環境のすり合わせをしているので最適解の生活をすでに実現できている

という感じやな。

 

そして、大体の人は、信仰心が中途半端や。

団塊世代以上は信仰心が高い人が多いけどな。(信仰心の違いによって、世代間で話が合わなくなるのだが、それはまた別の話や)。

中途半端やから悩むんや。

 

ワイはどちらかというと、信仰心が高い方の人間だった。

大企業に偶然入れて安心しとったのを覚えているよ。

しかし、入社してから、どんどんレール教への信仰心が下がっていったなあ。

まあ個人的な体験はここでは語らんが、昨今の「終身雇用の崩壊、派遣切り、ブラック企業、年金の崩壊、経済の衰退、人口の縮小」を見て、レール教への信仰心が高まるやつはおらんやろうな。

まあ、もともと学校教育がレール教の布教活動みたいなもんやから、学生時代に高かった信仰心が就職して下がった人、多いんじゃないか?

だから就職して、信仰心が中途半端になるのはあるあるネタなのかもしれんな。

2つの選択肢

今、信仰心が中途半端ゆえに、会社を辞めるか続けるか迷っている君ら。

与えられた選択は

  1. 盲信者になる
  2. 教義を捨てる

のどちらかや。

 

盲信者っていうのも、正解やで。

レール教は崩壊しているのでだめやが、この際もう普通に宗教にハマるのもありや。

なにせ盲信は考えなくていいから楽やな。

自己判断の選択の幅を狭めて、仲間たちと共通の目標の達成に集中するのもおもしろいかもしれんなあ。

それが死ぬまで続いたら成功やで。

ただ、組織の継続性のコントロールが自分では不能だから、根本的な安心感は得られんかもな。

 

ワイのオススメは、レール教の教義を捨てることや。

これに関しては、そもそも社会のレールが崩壊しているからな、

今捨てるか、後から捨てざるを得なくなるかのどっちかなんや。

捨てないという選択肢はないんや。

まあそういう事にうすうす気がついているから、会社生活に悩んでいるんやろうがな。

もう自分の頭の中では分かってるんや。

結局いつか捨てるってことはな。

でも今すぐ捨てるという判断はなかなかできない。

だから、会社を辞めることは難しい。

考えることだらけ

会社を辞めるのは不安やな…

  • 生活はどうするの
  • 子育てはどうするの
  • 老後はどうするの

分からないことだらけや。

でもこんなことはなあ、本来自分で考えることなんやで。

これはレール教の弊害や。

レール教はうまく回れば、仕事に集中しているだけでこれらのことが自動的に解決されるシステムになっている。

だから、これらの問題に関して、じっくりと自分で解決策を考えるという機会を損失しているんや。

「生活をどうするの?」っていう問題一つとっても、自分の頭で考えるのは大変やな。

「どうやって収入を得ようか、通信費は適切だろうか、保険は適切か、食費は削減できないだろうか、住む場所はもっと良い場所がないだろうか、車を維持できるのか、冷蔵庫は必要か、洗濯機は必要か、電子レンジは必要か、炊飯器は必要か、うんこの処理はどうするか、もっといい方法はないのか…」

レール教を捨てると、何気なく選択していたあらゆるものを、全て自己判断で検証し直さないといけない。

これには膨大な時間がかかる。

最良を探すために、細かい要素の一つ一つを調べまくるんや。

これはめんどくさいでえ。

 

全部自己判断だからな。

めんどくさいでえ。

 

今までは、なんとなくレールに乗っていれば万事オッケイだったわけやからな。

考えるのはめんどくさいでえ。

 

な?

「めんどくさい」から「会社を辞めるのは難しいんや」

冒頭の意味がわかったやろ?

やり直すしかない

でもなあ、めんどくさいって思うのも仕方ないことなんよ。

今まであえて自己判断を抑制するっていう教育を受けてきたわけやからな。

社会に出ていきなり自己判断で自己責任だなんて言われても辛いよな?

 

レール教の人は「役に立つはずなんや」って、検証が十分じゃない状態で、大学に入った人も多いと思う。

就職も「なんとなく」なんじゃないか?

「なんとなく」で判断するっていうのは、レール教への信頼感の現れだと思う。

「十分に検証しなくても良い、なぜなら社会のレールに乗ってるから」って思ってるんよ。

でもそれって幼稚園に入園したときと、自己判断力で言えば変わってないよな。

でもしょうが無いことなんや、自己判断の抑制は教義やからな。

 

でもここからやり直そう。

というかやるしか無いんや。

レール教が崩壊した社会では、あらゆる側面で自己判断が必要とされる。

幼稚園からやりなおす気持ちで、自己判断の習慣を取り戻すんや。

それでしか生き残ることはできない。

そして人生の主導権を取り返すしかないんや。

 

会社を辞めろって言う話ではない。

人生の主導権を持てっていう話や。

これまで何気なくレールに乗せてきた他人任せの判断。

全部能動的な判断として、自分のものにしようや。

ひとつひとつ、時間はかかるがやっていこう。

 

 

ワイはあんたのこと応援するで、このフェーズ(無職)からな

コメント