過去には希少価値がある

昔、断捨離に失敗したことがある。

その時、引っ越しを機会に不用品を捨てようと思っていた。

そして、冷蔵庫と電子レンジと原付を捨てた。

しかし、捨てた直後にその3つが必要になったのだった。

特に原付は、捨てるまでの数年間全く使わなかったのに、急に必要になる出来事が発生した。

断捨離は難しいものだと思い知らされたのだった。

 

私は基本的にはミニマリストに憧れがあるのだが、断捨離の失敗以降、モノの処分に対する苦手意識が芽生えた。

 

 

無職になって一年。

フットワークが最強に軽い立場である。

この一年で何度か、居を移そうかと思ったことがあった。

面白そうなシェアハウスを見つけたり、山に篭もろうかと思ったり、いろいろあった。

しかし、現在契約しているマンションが心の重荷になった。

「引っ越すなら、ここを解約したほうが良いな…」

「でも引っ越すなら、荷物をなんとかしないとな…」

「荷物を移動するなら、予め不用品を処分しようか」

「不用品でも価値の有りそうなものは、メルカリで売ろう」

こんな事を考えているうちに、本来軽いはずのフットワークは重くなり、引っ越すチャンスを逃していった。

 

荷物は、無職の強みを弱める。

そう実感した。

 

最近また断捨離を始めた。

引っ越しが決まったからだ。

価値がありそうなものは、あらかたメルカリで処分することができた。

しかしまだ残るものがあった。

「過去」だ。

過去はメルカリで売れない、だが価値があるかもしれない。

 

部屋の整理をしていて、数年前に使っていたガラケーが出てきた。

何気なしに充電してみると、なんとそれは未だに動いた。

中には、当時のメールが残っている。

もしこのガラケーが故障していたら、なんの迷いもなく処分していただろう。

しかしそこには「過去」があったから、迷ってしまった。

 

「過去には希少価値がある」

なぜなら過去には戻れないからだ。

モノと情報を通じて、思いを馳せることしかできない。

だから「過去の物」にも希少価値がある。

過去の物は、新たに作ることができない。

減る一方だ。

だから希少価値がある。

 

会社員時代の、メモやノートが出てきた。

9年前の仕事のメモを見た。

そのメモを書いた背景や状況を、未だに克明に覚えていた。

当時は10代だった。

情熱も集中力も、20才付近が人生の最盛期だと思う。

仕事には集中と緊張を持って取り組んだから、9年前のことでも覚えている。

それだけの集中力を捧げて手にした技術は、無職になった今なんの役にも立っていない。

そんな事を思わせる、会社員時代の「物」だった。

 

処分に迷った。

もしかしたらなにかの役に立つかもしれないと思ったからだ。

なにせ過去の物だ。

希少価値がある。

捨てれば戻ることはない。

 

 

だが最終的には全て捨てた。

 

 

過去の物を抱えて、引っ越しに躊躇し、チャンスを逃すようでは、未来に悪影響がある。

だから捨てた。

 

過去の物は、過去を思い起こさせることができる。

しかし、そこに未来に繋がるものはなかった。

 

過去には希少価値がある。

それは確かだ、

しかし、希少価値はあるが「価値は無い」

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