うそつきはモテない

(すごいことが事実としても、受け手には分からない)。

面接

嘘つきは嫌われる。

これは当たり前のようで、実は深いと思う。

筆者が会社の面接を受けたときの話をさせてほしい。

 

5人ぐらいの集団面接だった。

 

ある一人が、

「私はコミュニケーション能力に自信があります!」

と面接官にアピールしていた。

 

彼とは知り合いではなかったが、

筆者にはそれが「嘘」に思えた。

 

パッと見の印象が陰キャだったからだ。

 

彼の発言と彼の実際の雰囲気には、ギャップがあり、

それは筆者に不信感を抱かせた。

面接官も同じ気持ちだったかも知れない。

 

彼は、高いコミュニケーション能力を本当に持っていたのかも知れない。

しかし、面接の場でそれを証明するものは無く

あの場には、彼は陰キャっぽいという事実しかなかった。

 

会話において発言が事実かどうかは重要ではない

相手に違和感を与えた時点で駄目だと思う。

 

その後彼は入社式に現れなかったので、面接には落ちたようだ。

勧誘

また、別の話をさせてほしい。

 

筆者は一時期、投資?の勧誘を受けていた。

勧誘者のオジサンは、イキった感じで、

しきりに自分自身の凄さを筆者に伝えてきた。

過去に何億円を稼いだ
モテて、何人もの彼女がいたことがある
モデルの妻がいる

など、そういう話を聞かされた。

 

筆者は普通にオジサンの話を聞いていたのだが、

一つ気になる点があらわれた。

 

オジサンはスーツと大きな腕時計を着用し、

身なりの高級感には気を使っていたものの、

歯がめっちゃ汚かったのである。(会話の途中で歯垢が飛ぶレベル)。

 

初めは、素直にオジサンの話を聞いていたものの、

歯の汚さに気がついた途端に、話が耳に入らなくなった。

 

オジサンの話す、「自分はモテるのだ」という逸話が、

歯の汚さによって信憑性を失ってしまったのである。

 

筆者には、オジサンが嘘つきに感じられ、

モテるという話以外の、

すべての内容についても、不信感を抱くようになってしまった。

 

もしかしたら、オジサンは正直者で話の内容はすべて事実かも知れない。

だとしても、筆者にとっては、

目の前に歯の汚いオジサンがいるという事実しかなかったのだ。

 

その後、筆者が投資話に乗ることはなかった。

嘘つきと思われると嫌われる

「嘘つきは嫌われる」という言葉は、少し表現が適切ではない。

「嘘つきと思われると嫌われる」と言う方が正しいだろう。

 

話した内容が事実かは問題ではない

相手が嘘だと感じることが問題なのだ。

 

筆者は、アスペ味の強い方の人間だと思っている。

だからこそ、特に初対面の人と上手く付き合うエッセンスについて考える事が多い。

 

「嘘つきと思われると嫌われる」

嘘つきと思われないためにはどうしたら良いのだろうか?

これについて筆者は、

「他者評価と自己評価を一致させる」ことが重要だと思う。

 

他者評価と自己評価の一致

人と接すれば、相手に何らかの印象を抱く。

モテる人は、

  • 話し方
  • 声色
  • 表情
  • 立ち振舞

などで、なんとなく分かる。

深く語らずとも、モテる人はモテることが分かるものだ。

 

仮に、

  • 目が死んでいたり
  • 笑顔がぎこちない

そんな人物が「自分はモテる」アピールをしてきたら、

筆者は、それが嘘としか思えない。

ここでは、無理に自分を大きく見せようとして、

「他者評価と自己評価のズレ」が発生している。

 

もし、同じ人物が自然な話の流れで、

「俺、目が死んでるとか言われるんだよねw」

と、自分から打ち明けたら、筆者は安心すると思う。

筆者が「こいつ、目死んでるな…」と強く思えば思うほど、

相手からその話題を出した時の安心感は凄いのではないだろうか。

この安心感は、

「他者評価と自己評価の一致」から生じている。

 

イケメンが、イケメンっぽく振る舞ったとする。

当然モテる。

それを見て、

ブサメンが立ち振舞を真似しても、多分嫌われる。

 

イケメンは、イケメンという他者評価に従って、イケメンを演じるからこそモテるのであって、

イケメンでない人が、行動だけ真似ても、

「他者評価と自己評価のズレ」により不信感を抱かれる。

モテるどころか、恐怖感さえ抱かれるかも知れない。

 

初対面の感情、安心か恐怖のみ

コミュニケーションにおいて最も重要なのは、

相手に、

怖い人と思わせないことだと思う

 

初対面の人間と話す場合はなおさらである。

筆者の経験上、

初対面で、自分を凄いと思わせようと、

肩に力をいれて話す人は、大抵残念な人だ。

 

人と人が、出会う時

初めに抱く感情は、

「安心or恐怖」のみであると筆者は思う。

 

初対面の人間と話して、最初に心配することは、

「この人はヤバイ人か否か

であり

尊敬できるかできないか」

では、決して無いのである。

 

コミュニケーションの土台は安心感

他人に尊敬されたい、良い人だと思われたい、

と思うのは、当然の感情だ。

 

しかし、初対面では相手から

「この人はヤバイ人か否か」

という低い水準で判断されていると知らなければならない。

 

まず、自分が無害な人間だと示し、

信頼関係を築き上げた上でしか、

尊敬は得られないと思う。

 

 

人間関係は、マイナスから始まると表現することもできる。

この人はどんな人だろう?(マイナス)

ヤバい人ではなさそうだな(ゼロ)

面白いところもあるな(プラス)

プラスの人間だと思われるためには、

必ずゼロを通過しなければならない。

マイナスからひとっ飛びに、プラスに行くことはできない。

 

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犬だってそうだ。

出会った犬同士は、まず互いの匂いを嗅ぎ合い、

敵意の無さを表した上で交流を始める。

初対面で、いきなり吠える犬が、相手と上手く交流することは困難だ。

 

自分が相手から、まだ「マイナス」の人間と見られていることを理解せず、

いきなり自分の「プラス」を、アピールすれば、

相手の「マイナス」の感情を深めることになる。

 

これも、

「自己評価と他者評価のズレ」の話と同じだと思う。

 

「当然自分は安心できる人間だ」という自己評価を持っていたとしても、

「この人はどういう人だろう(不安感)」という他者評価を受けている。

 

他者評価に、自分の行動を合わせなければ、相手に不信感を抱かせることになる。

 

メタ認知 客観的目線

人は自分自身について、よく知っているものだ。

自分の年齢、性格、職業、等々

すべて事実として、当然知っている。

 

しかし、他人は自分の事を全て知っているわけではない。

世の中にはそれが分からない人もいる。

 

自分を、他人目線で評価する能力を、

メタ認知能力と呼ぶ。

客観的目線とも言う。

 

 

例を出すと、

自分の家族構成を、なぜか筆者が把握しているという前提の文脈で話をされたり

筆者の知らない人物の話題を、大した説明もなく話し始めたり

そういう人と話したとき、筆者は

「この人は、メタ認知能力が低いな」と思う。

逆に、

専門的な話を、分かりやすいたとえ、単語で説明できる

そういう人は、「メタ認知能力が高いな」と思う。

 

メタ認知能力は、

「他者評価と自己評価を一致

させ、コミュニケーションを円滑にするために、必須の能力だ。

 

しかし、それを知ったとしても、

メタ認知能力をすぐ身に付けられるわけではない。

脳の機能の話になるので、どうしても能力の個人差は出てしまう。

 

答えは沈黙

メタ認知能力が低くても、使えるテクニックとして、(メタ認知能力が低い人物は、自分がメタ認知能力が低いことを認知できないが…)

 

「自分の話す内容を重視しない」

という考え方が良いのではないかと思う。

こういう話をしたい。
面白い話をしたい。
すごい話をしたい。

と、自分が何を話すかに意識をフォーカスすれば、

相手の表情の変化に気が付きにくくなる。

 

もし、自分の思う渾身の面白い話をしているのに、

相手がウンザリした顔をしていたとしたら、

それは、(自分が面白い人間だという)自己評価の過大により、

相手との評価の不一致が発生している。

こういう場合でも、

もし、相手の表情を読んでその話をすぐに止めたとしたら、

逆に相手の信頼を得ることになるだろう。

 

相手のテンションが低かったり、

相手が疲れていそうな時は、

そもそも話しかけないことが最善手である場合もあると思う。

 

もし筆者が疲れている時に、

つまらない話を延々と聞かされたら、

相手のことを有害な人間だと認識する。

 

コミュニケーションの基礎は、安心と無害さだ。

だからこそ、自分が何を言うかより、

相手がどう思うか、の方が重要だ。

 

自分にとって面白い話をするのではなく

相手にとって面白いをする」

という考え方が重要だ。

 

自称コミュ強が陥りやすい勘違いだが、

パリピ同士で仲良くできることは、コミュ強ではない。

相手をよく観察し、

  • 相手の喜びそうな話題
  • 相手の心地よい会話の速度

に、柔軟に対応できる人間こそがコミュ強である。

 

あなたの記憶の中に、

ヤンキーともオタクとも先生とも異性とも

仲良くできていた人物はいないだろうか?

おそらくそういう人物は、

相手の表情や、微妙な態度の変化に対する感度が高かったのだと思う。

 

自分が面白くないと知る人間は、面白い人間だ

「他者評価と自己評価を一致」させるという目線で考えると、

面白い話のネタが無いことは、

なんの問題にもならないことが分かる。

 

想像してみて欲しい。

もし相手が面白くない話をしてきたとしても、

「これ、あんま面白くない話なんやけど…」

と、前置きをされていたとしたら、不快に思うだろうか?

 

面白くない話は、面白くないと前置きすれば、

他者評価と自己評価が一致するため、問題にはならないのだ。

 

仮に、

「今からめちゃくちゃ面白くない話するわwww」

という前置きでハードルを上げたうえで、

まったく面白くない話をされたら、筆者は逆に笑うと思う。

 

この話により先ほどの、

「自分の話す内容を重視しない」という話の理解も深まるのではないだろうか?

 

まとめ

ようは、「しゃべるときにがんばらない」って事です。

 

以上

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