夢もやりたいことも、ないんだよ?(無気力の生き方)

夢って、無理して見るものじゃないやん?

昨今、好きなことで生きていくだとか、自分の得意なことを仕事にしようだとか、

そういう論が多く見受けられます。

一見正論のように見えますが、実はこの言葉によって苦しむ人もいるのではないでしょうか。

筆者もそうなのですが、たぶん多くの人に、

「夢も、やりたいことも、得意なことも無い」のではないでしょうか?

ないものはないのではないでしょうか?

 

夢がないのに、「夢を追いかける事を推奨される」世の中になっても、

どうしていいのか分かりませんよね。

 

言い方を変えると、現代は、

「夢を追いかけることを強要される社会」

になっているかもしれません。

 

さて、そんな現代において、筆者が声を大にして言いたいことは、

「風潮に流されるな」ということです。

 

大して好きでも無いのに、他人から夢を求められて、仕方なく提出した「やりたいこと」

その程度の「やりたいこと」でも社会は無限のやりがいを要求してきます。

その要求に答えれば、途端に鬱になるでしょう。

もうはっきりと「自分には夢もやりたいこともない」と言ったほうが良いと思います。

 

おそらく昭和ぐらいまでは、「地味な仕事を、地道に続ける」事が美徳とされてきたと思います。多分

「夢の無い人」にとっては、やりやすい時代だったのかも知れません。

しかし、時代が「夢を求め始めた」からと言って「夢の無い人」に、いきなり夢ができるわけではありません。

 

筆者の持論ですが、人は変わりません。

演技をすることはできますが、性格だとか気質といった本質的なものは変わらないと思っています。

「本質的に夢の無い人」でも「夢を持っているという演技」をすることはできますが、

大きな違和感と疲労感を感じ続けることになるでしょう。

(逆に昭和とかは夢見がちタイプな人は、夢がない演技を求められて大きく疲弊していたことでしょう)。

成功者に惑わされるな、自分は無気力なのだから

最近、

  • 趣味で楽しくやっていたことが、仕事につながった
  • 夢中になってやっていたら、評価されるようになった
  • 大学時代にプログラミングにハマって夢中になってやってたら、いつの間にか大金持ちになったンゴwwwwwwww

的な成功談が多くネット上に流れ、持て囃されています。

 

夢や熱中できることが無い無気力な筆者は、そんな体験談を見て、

「自分も熱中できることを探さなくちゃ…」とか

「なんで自分にはハマれるものがないんだ…」と、

焦燥を感じました。

しかし、よくよく考えると、熱中できるものを頑張って探そうとしている時点でおかしいのです。

 

筆者は無職になって、一人の時間を多く確保できたので、いろいろ自分について考えました。

そして、

「風潮に合わせて、自分を変えようとしている自分」

の存在に気が付き始めました。

筆者は無気力であるがゆえに、自己の行動基準が明確でなく、

また、無気力である自分には問題があり「修正しなければならない」という誤解をしていたために、

風潮に合わせて「自分の行動を歪めていた」のです。

 

筆者は無職の自由な身になっても、行動がブレまくっていました。

正直失敗だったなと思う判断が多くあります。

傾向として、

「〇〇をすれば、自分は無気力な人間から脱せられる。」

という期待を込めた判断はすべて失敗しています。

 

冷静に考えると、「自分を変える」という努力が成功する可能性は低いでしょう。

「自分を変える」とは、「向いてないことをする」と同義です。

向いてないことをすれば、慢性的に疲れや不快感を感じ続けるので、

そんな状態を継続するのは当然無理です。

「何もしたくない」が夢でいいじゃん

この記事の最初で「好きなことで生きていく」という言葉を少し出しましたが、あれはあながち間違ってはいないと思います。

ただ、

あの言葉を、「無気力な人間」が実行しようとしたとき、

好きなことなんて無い」→「じゃあ好きなことを見つけないと!

っていう思考になりがちな問題がある気がします。

 

無気力な人が、どういう思考をすれば正解なのかというと

「好きなことで生きていく」

「好きなことなんて無い」

「じゃあ、何もしないで生きていこう!!

となるのが正解なのです。

というか、そういう思考こそが、最も素直で自分らしいもののはずです。

 

なぜ「好きなことを見つけないと!」という思考になってしまうのかというと、

「夢のある人のほうが持て囃される風潮にあるから」です。

 

ワンピースのルフィだって

「別に、なりたいものは無ぇ!!!!!!!」

とか言ってたら人気出ないですよね。(いや逆にありかも…)

 

夢に向かってがむしゃらに頑張っている人は、見ていて気持ち良いものです。

そういう人を、世の中の人が褒めるのは別におかしいことではありません。

しかし、そういう風潮があるから、無気力な人が

好きなことなんて無い」→「じゃあ好きなことを見つけないと!

という素直ではない思考をしてしまうのです。

「好きなことで生きていく」ていう言葉を受けて、自分に向いていない行動を選択してしまうというのも不思議なものです。

「風潮に流されるな」とはこういうことです。

 

ここまで説明しましたが、それでも

「いや、でも何かしないと生きていけないやん。」

と感じ、自分を変えなければと思う人も多いと思います。

 

当然、無気力な人も何もしなければ困窮します。

しかし筆者なりに無気力な人向けの、良い思考法を考えたので読んで頂けたらと思います。

消極的に考える

無気力な人は無気力なので、やりたい事はありません。

例えば「さかなクン」ぐらい熱中できるものがハッキリしていれば分かりやすいのですが、無気力な人にそういうものはなかなかありません。

ですので、さかなクンにおける魚のような、自分に「プラスの感情」をもたらすものに目を向けるのではなく、

「自分をマイナスにさせるもの」に目を向けてみたらどうでしょうか。

 

「やりたくないこと」に目を向けるという発想です。

筆者はそれすらよく分からなかったので、「疲れるもの」にも目を向けて、

そういうものを排除することこそが、やりたい事でありであると思うようにしました。

マイナスの要素を減らしていくという発想です。

 

自己分析の結果、筆者を疲れさせるものは、

  • 外出
  • 人とのコミュニケーション

だと分かりました。

この2つを永遠に排除したいとは思いませんが、少なくとも強制的にやらされる状態は避けたいと思いました。

 

すると今度は、自分の「やりたくないこと」が明確になってきました。

  • サラリーマン(人と話すため、外出するため)
  • フリーランサー(顧客とのやり取りがあるため)
  • 社員のいる社長(従業員とのやり取りがあるため)
  • ネット転売(顧客とのやり取りがあるため)
  • 有名人(ファンとのやり取りがあるため)
  • 同居(人と話すため)

など、次々と出てきます。

そして、やりたくないことが多く出てきたので、

消去法でやることが絞られてきました。

 

筆者は会社を辞めた後、漠然とインターネットで稼ぎたいなと思っていましたが、

インターネットだからといって、なんでも良いとは限らないということが分かったのは大きいことでした。

例えばアルファツイッタラー(ネット有名人)は、エゴサをしてファンの心をつかんだり、丁寧にリプを返したり、他の有名人と絡んでフォロワーを稼いだりしています。

筆者もそういうことをしなければいけないのかと思っていましたが、やりたくないことを明確にしたおかげで、自分はそういう事はしないと断言できるようになりました。

 

分かったことに「ネット有名人の中に、自分の目標とする人はいない」というものがあります。

どうしてもインターネットを見ていると、ネット有名人の情報が目に入りますが、こういう人物は少なからず目立ちたがり屋の要素があります。(そうでないと、自分の目まで届かない)。

筆者は、そういう人の成功談と、相性が非常に悪いのです。

 

筆者の行動指針である「外出しない」「人とコミュニケーションを取らない」という条件を満たしながら生活している人は、そもそも観測できません

筆者が目標としたい人物は、目立たないのでネットの記事には出て来ないのです。

 

そういう事がわかったので、ネット上の成功体験に惑わされることが無くなったと思います。

自分のやりたくないことが明確でないと、

「サラリーマンをディスって成功したブロガー」「瞬発的な活躍をネタに講演会や情報商材で稼ぐ人」

などの成功を見て、後追いしなければならないのではないか、という焦燥感が生まれます。

しかし、やりたくないことが明確であれば、

「ああいう成功の仕方もある。でも自分は真似しない。」

と即答できるようになります。

自分の性格や気質を無視して、他人の成功をなぞっても良い結果を招くとは思えません。

「疲れること、やりたくないこと」に目を向けることで、世の中に溢れる情報の、取捨選択ができるようになりました。

やりたくないこと以外、全部やっていい

結局、外出を排除すると、出来ることはネットの仕事か投資ぐらいしかありません。

さらに、コミュニケーションを排除するとなると、ネットの仕事内容も絞れてきます。

例えばですが、

  • YouTubeをやるにしても、顔出しゲーム実況はちょっと違うな…
  • 投資をするにしても、不動産投資は人と関わるから違うな…
  • フォロワー増やすために、交友関係増やすのは違うな…
  • 誰かと協力するのも違うな…
  • 誰かの依頼要望に答えて仕事をするのは違うな…

といった感じです。

 

こういう風に考えると、制限ばっかりだなと思われるかも知れませんが、

逆に、

これら以外は、何でもやって良いのです。

 

好きなことで生きる、得意なことを伸ばすという価値観では

  • 大好きな一つのこと
  • いくらやっても疲れない一つのこと

を追求することになりますが、むしろこっちのほうが制限ばかりじゃないですか?

 

筆者は昔、そういう価値観が正しいと思っていたので、なにか新しいことを始めても、

「いまいち熱中できない、これじゃあこれに熱中している人に勝てないからやっても意味がない…」

「元々それが好きで、金にならなくてもやるような人には、作業量で絶対に敵わないから、やっても意味がない…」

と思い、諦めてしまいがちでした。

 

しかし今は、

やりたくないことをやらない為に、どれだけでも努力して良い。

と思うようになりました。

 

そもそも禁則事項は「外出とコミュニケーション」だけであり、努力は全然良いのです。

むしろ、理想の生活へ近づいていると考えれば、その努力は苦しくならないと思います。

「他人の定義した」努力では無いので、苦しくないのです。

 

好きなこと、夢中になれることをやるという考えが、どれだけ自分を縛っていたのか分かってきました。

楽しくないことをやってもいい、苦しいことをやってもいい、つまらないことをやってもいい、つらい努力をしてもいい…

繰り返しますが、やりたくないこと以外は、何でもやって良いのです。

 

そして努力は、

疲れない生活の実現のために努力する

疲れない生活に近づいて、エネルギーが溜まり、更に努力できるようになる。

という、無限ループを発生させます。

 

そしてこの無限ループこそ、無気力な人が歩むべき唯一の道なのではないかと思っております。

最後に

この記事を簡単にまとめると、

「無気力な人はまず自分が無気力であることを認め、無気力な生活の実現のために努力すると、いつの間にか無気力じゃない感じになる。」

といった感じです。

まあ「怠惰なプログラマーは優秀」という話と近いかも知れません。

根が真面目な人が、周りの意見を素直に受け入れているうちにエネルギーが奪われ無気力になるという説もあります。

周りの意見を聴くのは辞めて、自分の心の意見を尊重していきましょう。

っていうか、まあ素直になりましょうっていうことです、簡単に言うと。

素直が大事。そういうことです。

自分に素直にやっていきましょう。

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